カテゴリー: 東北の記事一覧

気仙地方/気仙大工/古民家

 

夏頃に調査を行った岩手県大船渡に11/14、15の1泊2日で行ってきました。
今回は気仙大工が手掛けた大船渡市吉浜の小松家を実測調査しました。
今回も気仙大工研究所の平山氏にご案内頂きながら、現在もお住まいの小松さんご夫婦にもお話を聞かせて頂きました。

小松家は明治27年(1894年)に建てられた民家で、築100年以上建っていますが、現在もとてもきれいに住まわれています。
敷地内には裏山や鮎がとれる小川などがあり、一番上の写真の沿岸部への眺望もとても美しく、自然豊かな敷地に建っています。
今回のブログでは、この小松家でみられた気仙大工の木造技術をいくつか紹介していきます。

玄関を入るとすぐ、大黒柱やH400×W200 の立派な梁が現れます。
野縁には、現在では柱につかう4寸角の角材が使用されており、
正確に455ピッチで配されていました。
この根太の上に張られている面材は、1階の天井材と2階の床材を兼ねており”踏み床天井”と呼ぶそうです。
欄間に施されている彫刻は家紋のアゲハ蝶で、 周りには7厘の線材がはめられています。
気仙大工の中では、「5厘は細し、10厘は太し、7厘がちょうどよし」と言われているそうです。
また、欄間の隅に穿たれている穴は「鼠潜り」といって、細い線材を鼠がかじって穴をあけてしまわないようにあらかじめ設けられているものです。
床の間にも同じ鼠潜りが設けられています。
それぞれの細工は一軒一軒違い、同じものは2つと無いそうです。

 

その他、気仙大工が建てた建物には欄間や床の間に限らず細かな細工がされており、気仙大工の技術の高さを体感しました。
今回は、気仙地方の寺社建築も見学したので、後日UPしたいと思います。

宮城県南三陸町戸倉西戸

震災から一年半以上たった今も南三陸町では重機による瓦礫の撤去が続いています。同じ被災地でも地域ごとに復旧の速度は異なるようです。南三陸町は関東以南からのアクセスが悪く、同じ宮城県内の石巻、女川と比べボランティア参加者も少ないとのことで、復旧の進行にも影響があったかと考えられます。そのため南三陸町のボランティアセンターでは、今も瓦礫撤去の人手を募集している状況です。更に最近では、漁業支援や地域の子供を対象としたワークショッププログラム等のニーズが高まっているようです。

戸倉地区では町内の瓦礫を処理するための大規模な災害廃棄物処理場の建設が進められていました。各地域の一次仮置場の瓦礫が運び込まれているようです。

戸倉地区内の西戸という地域は、海抜が低く、広い範囲で津波の被害を受けました。もともと農業が盛んであった西戸では耕作地が多く、それらも津波の被害を受けたと聞きました。十数戸の仮設住宅が建てられている場所も元々は畑として利用されていたそうで、滞在中も仮設周辺の畑で住人の方々が働いている姿を目にしました。

現在、アトリエ・天工人では、西戸にて塩害を受け耕作等に使えなくなってしまった土を建築の材料として土の倉庫の建設を進めています。

宮城県女川町「おちゃっこクラブ」

女川町の町立病院の敷地内に、震災後に建てられた「おちゃっこクラブ」という施設があります。

軽飲食料を提供しているほか、施設内には女川町のお祭りの写真や獅子舞などが飾られており、地域の文化を伝える役割を担っているようにも感じられます。

おちゃっこクラブにて、土ブロックの技術を利用し女川の土を用いて土のタイルを製作しました。女川で採集した土は赤みをもっているのが特徴です。土のタイルには、製作に関わって頂いた方によってメッセージを記したものもあり、それらは獅子舞を展示するための棚や壁面に使用しています。おちゃっこクラブを利用される方々に女川町の文化・地域性を伝える手助けとなればと願っております。

気仙地方/気仙大工/古民家

色々な機会に震災後の東北を訪れますが、文化財指定されない一般の古民家や蔵が地震や津波の被害を受けながらも残っている姿を目にします。震災前から高齢化・人口減少の影響で、解体・焼却が進んでいたかもしれませんが、震災をきっかけにそれが加速する可能性が高まっていると考えられます。
アトリエ・天工人では島根県を中心に古民家プロジェクトを進めてきましたが、震災後の東北地方についても、現状では手付かずと考えられる基礎調査から始めました。文化財指定されている様な伝統的建造物だけではなく、その地域では一般的な古民家群も、文化・風景を形成する重要な要素です。地域特有の材料や技術を基に作られている古民家群を将来に残していく事が、これからの街づくりや地域の人にとって意味のある事であると考えています。

東北には、気仙大工と呼ばれる独特の木造建築文化があります。神社仏閣や建具、装飾まで作る大工集団が民家まで作ります。約30年前に行った実測調査に参加されていた芝浦工業大学の伊東教授と共に、当時の調査地である陸前高田市気仙町今泉、矢作町的場へ行きました。


今泉は雁行する東浜街道沿いに気仙大工による建物が並ぶ地区だったのですが、今回の津波被害によりほとんどの建物が被害を受けました。

ある名家の立派な住宅があった場所付近では、テントの中に古材が保管され、基礎石も集められています。気仙大工研究所の平山氏によると、価値のある気仙大工の仕事であるが、そのまま組み直すのは難しいのではないかとの事です。

今泉の高台に建つ神社に気仙大工の技術の高さが見て取れました。


矢作町的場は津波の被害が無く、30年以上前の調査から大きな変化も無く、豊かな山村風景が広がっていました。当時調査をした何軒かのお宅では、代替わりをしており、今後の維持が大変だというお話を伺いました。
大工とは関係無いかもしれませんが、屋根の瓦が表札の代わりになっていたり、棟が瓦の透かし積みとなっているという特徴のある住宅が多くありました。

次回は気仙大工による木造技術の紹介をしていきます。

宮城県南三陸町歌津迎賓館「鍵」

アトリエ・天工人では、土プロジェクトを通して東北地方の復興支援活動を行なっています。
今回は、宮城県南三陸町の歌津迎賓館「鍵」プロジェクトについてご報告したいと思います。

歌津迎賓館「鍵」

歌津迎賓館「鍵」とは、震災以後仮設住宅団地として利用されている平成の森の敷地内にて建設を進めてきた地域住民のための集会場です。
栃木の有志団体“チーム日光”が中心となり、多くのボランティアの方々と建設を進めてきました。
この建物は、1m程土を掘り出した竪穴式住居の様な形式をとっています。
今回は、その掘り出した土を材料として利用し、内壁を土ブロックで仕上げたいと依頼を受け、アトリエ・天工人では、現地での製作・指導を行いました。

製作風景

4月より製作を進めてきた土ブロックによる仕上げも完了し、5月23日の落成式にて歌津迎賓館「鍵」は南三陸町に寄贈されました。

落成式の様子

現地の土を使った土ブロックは住民の方々にも興味を持って頂く事が多く、また土ブロックで仕上げることでより多くの方々に親しまれる集会場として利用して頂ければと願っております。

宮城県女川町2012年5月7日

アトリエ・天工人では少しでも東北の復興を支援できればと、様々な形での活動を行なっています。
地震や津波の様子などは色々な情報から目にする機会があると思いますので実際のプロジェクトの進行状況や何らかのイベント、出会った人や風景など、私達が実際に見て聞いた情報を少しづつこのブログでご報告していきます。

地震から1年以上が経過した、連休明けの2012年5月8日に宮城県女川町に行きました。
町内の高台にある町立病院前からの写真です。

横倒しになったRC造の建物などいくつかは公園の中にそのまま残される計画となっているようです。
下はほとんど同じ場所からの2012年1月30日の写真です。

今回の女川滞在中に目に付いたのは、2枚目の写真にある茶色い建物「マリンパル」が解体されていた事でした。現地では気付かなかったのですが、周辺の基礎なども少しづつ撤去が進んでいる事が写真を比べると分かります。

女川高校前には、木造の仮設の商店街も4月末にオープンしました。

こちらも1月の段階では工事中だったのですが、連休中は観光客も多く訪れ地元の特産品などを購入することができます。

瓦礫の撤去や商店街の再開など確実に色々な事が進んでいるのですが、商店街が再開した事で、無料の支援物資などが届くと、困る場合が出てくるなど、新しい問題も出てきているという話しも聞きました。

現地の状況・ニーズも変わっていき、被災地といっても街や集落ごとで状況が変わる事をこの1年間で東北の色々な場所に行って話しを聞いているので、このブログで少しづつ紹介していきます。